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ヒラリー・クリントンも認めたヘルシー日本食材! [日本の技術とスゴイ人]

今から25年前、大手乳製品企業のサラリーマンだった男は、
会社から
『アメリカに豆腐を売り込め』と命ぜられ、たった一人でアメリカに赴任した

その男の名は雲田康夫。
現在、Mr.豆腐と呼ばれ、アメリカでは豆腐の第一人者である。

彼が赴任した1980年台当時、アメリカでは家畜のエサと思われていた『豆腐』。
そもそも、「大豆は人間の食べものではない」というのが常識の国でした。

実際食べさせると、
「気持ち悪い」「味がない」「TOFUの発音が、TOE(つま先)に似ていてイヤ」と散々。

そして豆腐は1988年、USA Todayによると
「アメリカ人の嫌いな食べ物ナンバーワン」。


そんな豆腐が、何故アメリカ人の日常食になったのでしょうか?

当時の豆腐の不人気を象徴する出来事をいくつか。

・交渉に行ったレストランチェーンのバイヤーからある日、
トーフを数ケース送ってくれと依頼。

喜んで話をしていると何か違和感。
よく話を聞いてみると、豆腐が好物だというのは、オーナーの犬のことだった。


・フードショーに出展していた最中、忙しさのあまり5ケースほどの
商品を路上に置き忘れてしまった。

それに気がついたのが夜中。
朝一番に現場へ行くと、朝霧の中、誰にも見向きされなかった
豆腐は5ケースとも無事だった。


・1992年のロサンゼルス暴動。
豆腐を扱ってくれていた韓国系スーパーが略奪被害にあった。

お見舞いにオーナーへ電話をすると「心配しなくていいよ」
「あなたのトーフは誰も手をつけなかったから」。


・マーボー豆腐の試食を出すと、タレばかり売れる。豆腐は全く売れない。

路上に一晩放置しても誰も持って行かない。
略奪者にも見向きされない。

豆腐はまさに不人気な商品でした。


しかしある時、雲田さんの風向きが変わります。

もう、会社を閉めようかと悩んでいた矢先、雲田さんは年配のアメリカ人女性が、
トーフをカゴに無造作に投げ込んでいるのをみかけました。

どうやって食べるのかを聞くと、シェイクにする、と女性は言います。

雲田さんはその時、「豆腐は四角で白い」ということは
どうでもいいことだったことに気がつきました。

それは、これまでの考え方を根本から変える必要があることを
思い知らされる出来事だったのです。





日本のままでは売れない。
パンには冷や奴はなじまないのです。

それまでは、冷や奴、麻婆豆腐、味噌汁、これで日本の食文化を
紹介しようと考えていました。

ところがどれもうまくいかない。

アメリカ人には「旨み」という味覚がわからない。

冷奴や味噌汁、マーボー豆腐、
どんな料理を作っても、アメリカ人にはウケる料理がない。


そんな場面でのトーフ・シェイクとの出会いに元気づけられていたころ、
ヒラリー・クリントンが「豆腐」について語っているのをラジオで耳にします。

それは「ビルはジャンクフードが大好きで高血圧なので、豆腐を食べさせたい」
と言っていたのでした。

間違いなく「豆腐」と言っている。

アメリカでは[soy beancurd]という単語が浸透していたのに、
ヒラリーは「Tofu」という日本語を使っていました。

トーフは、じわじわとそこまで浸透していたのです。

ヒラリー・クリントンの発言をきっかけに、
ニューヨークタイムズやワシントンポストにも取り上げられ、

これまで相手にしてくれなかったバイヤーからも注文が入るようになり、
豆腐は一気に広がっていきました。

それ以降、アメリカの豆腐市場の形成に尽力し、
「ミスター豆腐」と呼ばれるようになりました。


以下は、雲田さんのインタビュー記事からの引用です。

売れるかどうかわからない物を売る時は、莫大な時間がかかるのは当たり前。

だけど、時間をかければ良いってもんでもない。
要は本人が、本気でどうにかするという熱意を持っているかどうかだね。

これまで、精神的な重圧から10円ハゲができたり、胃潰瘍になったり、血尿が出たり。

周りからは「バカじゃないの」っていつも言われた。
でもね、人から「バカ」って思われるレベルに達して、やっと事業が成功に向き始めるんだよ。


ある程度まで頑張ったら、次は発想の転換。
固定観念に縛られず、柔軟な発想で物事を考えることが肝要だね。

「他人のせいにせずどこまで頑張ったか、そして、どれだけ大胆に発想を転換したか。
それを自問自答してください」って、いつも講演で話してますよ。


今は、多くの方から「最初は大変でしたね」と言われますが、
当時、英語ができない40男には、アメリカで豆腐を売り込む以外に、
生きる道がなかっただけ(笑)。

でもね、いつも自分を切羽詰まった状況に追い込んでいたから、
うまくいったんだと思うし、
失敗したら日本に戻ればいいという気持ちもなかった。

でないと、人間は簡単な道に逃げちゃう。


最近、『売れないモノは俺に任せろ!』という本を出しました。
サブタイトルが「成功法則58」だけど、裏を返せば58話の失敗談

それを反面教師にして読んでもらいたいね。

最後にね、私の使命は自分の経験を後世に伝えることだと思ってる。

最近の日本には、私の年代で元気のない方がたくさんいらっしゃるようだけど、
彼らには、人生や社会人生活の中で蓄積した豊富な経験と深遠な知識があるはず。

あれだけ苦しい時代を乗り越え、日本の成長の原動力となった世代なんだから。
そしてそれは、日本の国にとって貴重な財産だと思うね。

だから沈黙を守らず、「俺たちには、知識と経験を若者に伝える使命がある」
って思っていただきたい。

そうすれば、自ずと元気が出てくるはずです。


こんな私も、今になってわかったことはたくさんあります。

だけど、若い世代にこれまでの私を惜しみなく伝え、
彼らがその次の世代にまた伝えてくれれば、最高にうれしい。

そう思って、毎日頑張ってますよ。







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