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姫路駅で路線図を見ている外国人迷子 [日本人と外国人迷子]

あれは数年前の初夏の頃。

姫路は市街地をアメリカに焼き払われたのだが
不謹慎ながら幸いにして姫路城は市街地よりかなり北にあったために
アメリカの焼夷弾による焼き払いからまぬかれた。

というわけで姫路城は本物の江戸時代の城として生き延びた。

という長い前置きからさて本題。

姫路駅で外国人が迷子になっていた。
姫路市は昔から結構都会であり人通りも多かったのだが
そこは恥ずかしがり屋の日本人、誰も彼もが知らぬ振りをして通り過ぎていった。

そこに戦前ドイツ文学などに明け暮れて戦時下に文学なぞと眉をひそめられていた。
当然英語もある程度できる。

その外国人は着流し姿に下駄履きの私を見て目を輝かせたが
またすぐに路線図を見て眉をしかめていた。

それで外国人にはあまりコンプレックスも恥じらいもない私は普通に話し掛けた。

「なにかお困りのようでございますね?」

日本語で。

ここは日本だから日本語で丁寧に語りかけるべきだろうと思ったのだ。

その外国人は日本語を解せず。
しかたがなく英語で話し掛けるが英語も通じない。


外国人を見たときにしてしまいがちな過ちを私は犯したのだ。
欧米人らしき外国人すなわち英語が話せるものだと。

ところが当の外国人さんは英語をまったく解せず。
こはいかにとしばし考えた。
短い時間で結論を出した。

「英語を嫌う欧米人はフランス人だ。」

そこで私はフランス語の素養はないので身振り手振りで意志の疎通を試みた。

通じた。

「やってみるものだ。」

私はフランス人と言葉が通ぜずとも心が通じたと実感した。

してフランス人のおもほしきものごとを私は解し
駅員室まで連れて行って手続きのすべてを済ませた。

そしてどこの駅で降りるかを明瞭な日本語で告げた。
アナウンスされたときにそれが唯一の手がかりとなるだろうからだ。

私には寸時のふれあいが長年の友との邂逅にすら思えた。
フランス人はお辞儀をしながら涙目なのに笑顔で
私になにかフランス語で別れを告げた。

私は唯一知っていたフランス語を述べた。
「あでゅー」

「またいづれどこかでお会いしましょう。」
と日本語で別れを告げ

そして深深とお辞儀した。

>>
のちのアデューレジェンドである
いいふれあいだ

>>
とっさに「セ・ボン」だけは浮かんでくるよ。
恐るべき芳香剤

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アデューって「永遠にさようなら」って意味じゃないっけ?

>>
そこに戦前ドイツ文学などに明け暮れて戦時下に文学なぞと眉をひそめられていた。
当然英語もある程度できる。
(´・ω・`)
いろいろとおかしいな

>>
そこに戦前ドイツ文学などに明け暮れて戦時下に文学なぞと眉をひそめられていた。
当然英語もある程度できる。
↑というスペックのスレ主が通りかかったんですよね?

>>
フランス人はゼスチャーが理解できない、ってフランス人がテレビで言ってたけど。

>>
で、姫路城の前置きの意味は?というかその前フリの回収は無いのか?

>>
姫路城だけど、まったく被害がなかったわけじゃないよ。
天守に1発焼夷弾だったかが入ったらしいが、
運よく不発弾だったために辛うじて燃えなかったとか。

>>
姫路城が無事だったのは姫路に空襲が来た時が夜で姫路城が山に見えたかららしいぞ

>>
言っちゃ悪いが姫路は田舎だよ。間違っても都会ではない

>>
姫路って駅前から城までは賑やかだよね
一本道それるとド田舎よりマシぐらい

>>
お城の北と東は昔の城下町の雰囲気が少しあるな>姫路
間違っても都会じゃないw

お城の真北にある高校に通ってた自分が言うんだからまちがいないww
あと、お城の東あたりに祖母の家があるけど、小さな蔵がまだ残ってるよ。





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