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台湾人と愛宕山で暗黙の登山競争にw [日本人と台湾人]

数年前、冬の愛宕山での話

運動不足を感じたときには愛宕山に登るんだわ、
京都の900メーターちょいの山

水分と非常食持ってデイパックでヒーヒー言いながら登ってたら、
大体同じ体格の奴が同じくヒーヒー言いながら登ってる

こういうときはお互い結構ライバル意識を持ってしまうもんなんだな、
余裕の顔して結構必死で相手を抜かそうとして登る

で、お互いデッドヒートを繰り返しつつもワシが辛くも勝利、
山頂の神社にお先に到着

フーンフフーン♪と参拝終えて、下りをスタコラ降りていくと、
下りをさっきの奴がすごい勢いで降りていく

昔、膝を壊した俺は下りは苦手、大差を付けられて負ける

で、下山して帰りの京都駅行きのバス停に行くと、さっきの奴がいる
お互い顔を見合わせて、やっぱりお互いライバル視してたのか
ハハハと笑ってしまった

俺『上は結構雪もあって寒かったですねぇ』

奴『デモユキミレテ トテモヨカッタデス』

(うおっ!!ひょっとして外国人!!)見た目はモロ日本人だった

俺『ひょっとして外国から来られたのですか日本語すごく上手ですね』

奴『イヤー(照れながら)台湾カラキマシタ、留学生デス』

俺『すごく上手ですよ、ネイティブとほとんど変わりませんよ』

奴『ハハハアリガトウ』


>>
光景が浮かんだ
おもろい

>>
バス来て隣同士に座る

色々話してると、奴は京大に留学生としてきた、
文学部かなんかで語学の発音について研究してるとのこと

わしは日本の気候、四季について色々聞かれたので答えた

奴は運転席上の電光掲示板が気になりだした

奴『アレハナンデスカ?』

俺『ああ、あれは運賃表・・あーチャージリスト?プライスリスト、
  このティケット(整理券)ナンバー=プライス』

奴『オーワタシ、(´・ω・`)取ってない』

俺『心配することは無い、ドントマインド、
  ドライバー ノウズ フェアー ユー ライド』

奴『ウーーーン(´・ω・`)』

奴『次、ワタシが降りるところです(´・ω・`)・・・

ワシ『(ええい心配性だな)Okギブユー!(ワシの整理券を渡す)』

奴『イイノデスカ?アナタガ・・・』

ワシ『ドントマインド!ハブアナイスジャパニーズライフ!』

奴『アリガトウ( ´∀`)』

ワシ『ジャーネーグッバーイ』

降りてからもずっと手を振ってた、わしも振り返してた

>>
イイハナシダナー( ;∀;)

>>
優しいな、アンタ!!
俺が女なら押し倒してるよ!

>>
別に男で押し倒しても構わんのだろう?

>>
ヒュー♪もちろんOKさ

>>
そのあと、運転手にこってり絞られて三倍支払わされた、
とか言うオチはないのか…

>>
かっこいいな!!

>>
東京 大阪 京都 名古屋などはバスは前払いで一定料金のところもある

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トルコのイスタンブール旅行のとき親日ぶりを体感! [日本人とトルコ人]

数年前、イスタンブールに旅行に行ったときの話。

ファティフと呼ばれる地域のメイン通りを歩いていたら、
誰かが俺の肩をトントンと叩いた。

なんだろうと振り返ってみると、日本人のおばあちゃん並みに
背が低いトルコ人おばあちゃんがニコニコしていて、

「ファティフジャーミイ」とすぐそこにあるモスクを指差して言った。
(ジャーミイはモスクのことね)

「ファティフ?」って聞き返したら、にっこり笑ってまた「ファティフ」と言った。

ここ見ていくといいよ、ってな感じで教えてくれたんだと思う。

お礼を言おうとしたんだけど、友達が急に話しかけてきたから、
友達と少しやり取りして、
おばあちゃんの方を振り返ったら、もうすでにいなかった。。。

お礼を言えなかったことが今でも非常に悔やまれるよ。。。。。


その後、ばあちゃんの助言に従って、ファティフジャーミイを見に行った。

中に入ったら、なにやら牧師?が説教してたんで、
入り口付近で友達と正座して見学してた。

しばらく見学してたら、モスクの管理人だかよくわからないけど、
トルコ人の中年くらいの人が入ってきて、俺のそばに静かに立った。

俺は何するんだろうと、ちょっと見てたら、天井の方を指さして
なんかジェスチャーしてた。

なんのことだろうと思ってたら、
円状に吊るされた電球をちょっとずつ付け始めた。

なんかキレイでボーっとそのトルコ人を見てたら、
もっと電球いっぱいつけるよと
ニコニコしながらジェスチャーで教えてくれた。

その後、電球をつけるたびに、
大げさなジェスチャーでおどけながらつけていった。

俺も友達もなんかおかしくて、「フフフフ」(気持ち悪い話だが)
忍び笑いしてた。

しばらくしたら、お祈りに来た近所の連中がたくさん入ってきたんで、
退散することにした。

その際、例のトルコ人に、つい日本人の癖で会釈してしまった。

ありがとう的な意味でしたんだけど、なんか戸惑ってた。
握手とかの方が良かったんかな。。


イスタンブールでは、有名な観光エリア以外は

市街地歩いてると「日本人だ」とか言われるし、
「日本から来たのか?」とか聞かれる。

道端に立ってた、ちっちゃいかわいい子供と母親に手を振ると
ニコニコされるし、

ただ単に売店で水を買うだけなのに、なにやらうれしそうに対応された。

道端で茶を飲んでるあんちゃんには、ようこそトルコへみたいなこと言われるし、

タクシム広場付近では、うるさいティッシュ売りの少年に付けまわされた。

もっとも、売りつけようって感じじゃ無くて、日本人?日本人?って。
とはいえ、これは微妙だが…


イスタンブール空港の免税店では、トルコ人の店員に友達が

「アナタハ トルコジンデスカ?」とか言われるしw
(確かに友達の親は北海道出身でアイヌ人のように、ほりが深い)

色々と日本人だと(たいてい良い意味で)注目されて面白かったです。


帰りの飛行機のJALの女性社員も、
「トルコは旅行しやすいでしょ?」と言っていたしね。

あと、今思い出したけど、

トルコ料理の食堂に初めて入ったとき、デジカメで写真とってたら、
店員が、すげー何このカメラ!って感じで覗いてたんで、

撮ってあげようか?とジェスチャーしたら、ニコニコしてたな。

いいねトルコ。いい正月でした。




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トルコ人が日本人旅行客に、美術館の行列に割り込まれた結果 [日本人とトルコ人]

かなり昔、トルコに旅行に行った時の話。

俺はトルコ人の子供にエセ空手を見せたことがある。

少し長めの石を拳で割るのだが、実はコンクリートの上で叩く間、
少しだけ石を浮かすような感じで持ち上げ気味にすると
(コツがいるんだが)、あっけなく割れるもんなんだ。

小学校の頃、川原でよく遊んだもんだ。

そしたら、これが大うけ。

ヤバイ位に子供が集まってきて、そのうち髭面の親父衆まで出てきちゃって
もうちょっとしたショーと化した。

小さな町だったが、その夜は色んな人にご馳走になり、何だか色々もらったよ。

もう20年も前の話だ。

あの少年達ももう30前後。
覚えてるかなぁ。

>>
多分いたるところで

「俺は日本のカラテマンに会った事があるんだぜ!あれは凄かった」
と言いまくっているであろう

>>
それに影響されて、子供たちが空手道に進んでたらおもしろいな

>>
トルコで思い出したけど、いろんな国の人とランダムチャットできるサイトにて。

チャット相手(トルコ人)が中東を旅行中、日本人家族に出会った話を教えてくれた。

彼が美術館の入場列に並んでいたら、日本人家族が割り込むような感じで並んだらしい。
どうもその家族は彼の存在に気づいてなかった様子。

でもすぐにその家族は彼に気付いて、謝罪らしき日本語と、
おじぎをして、彼の後ろに並びなおしたらしい。


…いや、普通だろそれ。

と思ったが彼はすごいスピードで書きすすめ、
最後に「日本人は本当に礼儀正しいんだね!」と。

その出来事と、日本のアニメの話題の時は(他の話題に比べ)

書き込みの速度が速い速いw

別に顔を見て話をしたわけじゃないけど、なんか嬉しくなってしまった。

それとともに、自分が海外で馬鹿をやってしまったら
日本人全体が悪く見られるんだとしみじみ感じたよ。




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トルコ旅行で親日すぎて大フィーバーが起きた結果w [日本人とトルコ人]

大学の卒業旅行でトルコに行った。
ひと通り観光地も巡って満喫していた。

ある田舎町(名前も忘れた…)で昼食を摂り、町をブラブラしてたら
見るからにトルコ人のおっちゃんが後をついてくる。

うわヤベと思ってたら「ジャポネ?」
(日本人か?という意味だと思う)と聞かれた。

ビビりながら「エヴェット」(はい)と片言のトルコ語で答えたら
えらい早口のトルコ語でまくしたて走り去ってしまった。

なんか怖いし、気味が悪いと思いながらも歩いてたら、おじさんが戻ってきた。

今度こそヤバい? と思ったら…
後ろに女の人と子供が3人くらい居る。

「ジャポネ?」「ジャポネ!」「ジャポネジャポネ!」と

トーンダウンする私を尻目にはしゃぎまくるおじさんたち。

なんだろうと思ってると握手を求められた。

とりあえず握手をすると、子供たちがはしゃいで人の周りを走り出す。

どうも感激されているらしいと気付いて、
トルコ語の本を片手に必死にコミュニケーションを取る。

英語が通じるような地域じゃないし。


要約すると
「俺たち家族が初めて会った日本人だ!嬉しい!」
という意味らしい。

それで家族を呼んできたと。

するとまたおじさん走っていく。


トルコが親日国だというのは知ってたけど、まさかここまでとは思わなかった。

奥さんと話していると、
皆「日本はとても親切でお金持ちでいい国だ」という考えが染みついているらしい。

ある意味そのイメージのせいで、イスタンブールではカモ扱いでしたけど…。

でも田舎町だから今まで日本人には会えなかった。
一度は会ってみたいと思っていた。

だから日本人のあなたに会えて嬉しいと。

話してると、おじさん戻ってきた。


両手いっぱいに食べ物やら酒やら不思議な置物やら…。

明らかに家の物だろうに。

「初めての日本人の友達にプレゼントだ!」と強引に渡される。

持ちきれないよと、断っても笑顔で。


その後、日本語を少し教えて
(教えてくれ、周りの奴に広めるからと頼まれた)
お互いの名前を教え合った。

彼らは私がバスに乗るところまで見送ってくれて

(何故か「ジャポネ!」と叫ぶ子供の行列ができてた)

「さようなら、日本人の友達!」といつまでも手を振ってくれていた。

こんなに”私がただの日本人”というだけで
感激されたのは初めてだったので、旅して一番の感動になりました。

>>
トルコの親日の話は、和むと同時に、

彼らにその感情を植えつける事になった
先人たちの偉業に恥じない日本人にならねばと身が引き締まる。

詳しくは、エルトゥールル号でググッてみ。

>>
中東は親日国多いんだよね

私も2年前トルコに行った時、同じような経験したよ。

ジプシーの子供達が追いかけてきてうれしそうに触ってった。

トルコ人の友達によると何か違う人がいるよ!
って喜んでたらしい。

別の場所では大人も子供も日本人?
日本人なの??本当????うわーおい!!

みたいなはしゃぎっぷりで超恥ずかしかった。

じろじろ見られるけど、決して嫌みじゃなくて、
みんな好意と感嘆の眼差しで見てくるんだよ。

イスタンブールはまたちょっと違うけど、全体的にかなり親日だね。

片言の日本語喋る人も多い。
トルコ語の発音に似てるから言いやすいんだと思う。

間違っても中国人や韓国人?って聞かれない所を見ると、
日本人であって欲しいみたいな雰囲気が伝わってくる。


その後、行く先々で大フィーバーが起こるんでw

気を利かせた友達が
彼女はカザク(カザフスタン人)とかトルコ人だけど聾唖なのよw

って言ってくれたりしたけど、
その後の反応がふはぁーなーんだみたいな。

諦めきれない感じの目をしたおじさんと子供がちょっと可哀想だった。

いろんな所を旅行してるけど、こんな経験をしたのはトルコだけ。

>>
私もトルコ行ったとき同じような体験したよ。

やっぱりちょうど二年前。

イスタンブールのロータリーみたいなところで遠足かなんかっぽい
子供たちと一緒になったとき、

すごく興味シンシンでこっち見てるんで、ちょっと手を振ってみたら

わらわらわらってやってきて、
「どっからきたの? 日本人?わあー日本人だって!」
ってえらい人気者になったよ… 

イスタンは観光地化&欧米化しすぎて親日もなにもって感じだけど、
子供はわりとこんな感じだった。

>>
トルコの人たちが親日でいてくれる。
それは嬉しいこと。

しかし、かの国の人のように恩着せがましくてはいけない。

重要なのは過去の人がトルコの人に何をしたかではなく
今の自分たちが彼らに何をするのか、である。

何も肩肘張ることはない。

自分の出来る事をすればいいのだ。

取り敢えず、先ずは・・・

トルコアイスでも食べよう




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トルコが親日国となった海難事故で義援金を集めた人物 [日本人とトルコ人]

日本・トルコの架け橋となった国際ボランティアの先駆者である山田寅次郎。

トルコ・イスタンブールの観光名所トプカプ宮殿には
日本の鎧と兜、そして陣太刀が展示されています。

これは明治25年、山田寅次郎という人物が、オスマン帝国皇帝
アブドュル・ハミト二世に奉呈したものです。

1890年、和歌山県串本町沖で、トルコの軍艦エルトゥールルが
台風の影響で遭難。

500名以上の犠牲者を出すという事件がありました。


山田寅次郎もこの事件に衝撃を受けた日本人のひとり。

彼は日本国内で民間から
『エルトゥールル号事件の犠牲者の遺族に対する義捐金』を集めるキャンペーンを行い、

事件の翌々年に、集まった義捐金を携えて
自らオスマン帝国の首都・イスタンブールに渡りました。


山田が民間人ながら義捐金を持ってやってきたことが知られるや、
彼は熱烈な歓迎を受け、
皇帝アブデュルハミト2世に拝謁する機会にすら恵まれました。

このとき、皇帝の要請でトルコに留まることを決意した山田。

イスタンブールに貿易商店を開き、
トルコの若い士官たちに日本語や日本のことを教え、

政府の高官のイスタンブール訪問を手引きするなど、数々の活動を行いました。

まだ日本のトルコの国交関係が樹立されていなかったため、
彼はこの町でほとんど唯一の日本人長期滞在者でした。


彼が士官学校で教鞭をとった際、その教えを受けた生徒の中には、
後にトルコ共和国の初代大統領となった
「トルコ建国の父」ムスタファ・ケマルもいたとされます。

大正3年、第一次世界大戦が勃発。

オスマン帝国(トルコ)はドイツ側についたため、
イギリスと同盟国の日本とは間接的に敵対関係となりました。

そのため山田は日本に帰国することとなりました。

しかし、帰国後もエルトゥールル号遭難者の鎮魂碑の再建に努力し、
日土貿易協会の理事長を務め、両国の親交に尽力しました。





ちなみに、2015年12月公開の「海難1890」という映画では、
「エルトゥールル号海難事故」
「テヘラン邦人救出劇」がモデルになっています。

この映画の企画時、トルコには
「合作映画はトルコ人が監督を務めなければいけない」という法律が存在しました。

しかし、トルコ文化観光大臣
エルトゥールル・ギュナイ氏は、この法律を変えてしまったのです。

しかも、後援としてトルコ側から出される予定だった制作費が
20万ドルから700万ドルに増額!

最終的に1500万ドル以上の製作費をかけて製作されることになりました

この映画には、エルトゥールル号
海難事故編には事件の際にトルコ人遭難者の救助に加わった串本町民の子孫が、

テヘラン邦人救出劇編には邦人救出に向かったトルコ航空の
客室乗務員の娘が客室乗務員役として出演しています。
(※ちょっとした裏話)


山田がイスタンブール滞在中、日露戦争勃発。

日露戦争は日本の勝利。

当時トルコ(オスマン帝国)は長らくロシアから圧力を受け続けていました。

そして、同じく圧力にさらされていた日本に対して、
親近感を高めていたトルコの人々


そこへ日本が勝利を収め、極東の小国日本の快挙として熱狂したといいます。

当時、東郷平八郎提督にちなんで、
トーゴーという名を子供につけることが流行したとか。

タグ:親日 トルコ
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